庭園紹介


松雲山荘
松雲山荘(画像をクリックすると詳細ページに移動します)
アメリカから帰朝した飯塚謙三氏により大正14年から数十年かけて造られた庭園。江戸時代の庭師相沢熊蔵の弟子であった蓮池周作が手がけ息子の軍一郎と親子二代で作り上げた。昭和46年柏崎市へ寄贈された。紅葉の名所として知られ、昭和63年テレビ朝日の「ニュースステーション」の紅葉中継で一夜限りのライトアップで全国に紹介され、平成元年から毎年ライトアップされ柏崎市民、訪れる観光客の目を楽しませている。昭和59年には木村寒香庵重義氏の篤志により全国でも珍しい茶道具を集めた木村茶道美術館が開館し、木村氏の「道具は使わなければ死んでしまう」との遺志から貴重な道具でお茶を楽しめるとの事で全国の茶道愛好家に親しまれております。

貞観園(画像をクリックすると詳細ページに移動します)

総面積11.15haの林泉園池です。全域を「真」「行」「草」の三区に分け、詩俳禅茶の好尚豊かな回遊式庭園です。八代当主 亀石翁、九代当主 哲斎翁の時、小堀遠州の手法を取り入れ、桂離宮の模築となり、利休・両阿弥の風情を参酌するようになりました。八代当主 亀石翁は、松村宗悦と交友があり、次第に造園の趣味が深まって行きました。また、京洛との交わりの中で、茶道の玄々斉等と交友するようになりました。八代当主 亀石翁の弟は、塩沢の富商で北越雪譜の著者鈴木牧之翁の女婿であり、牧之翁の居宅「秋月庵」の庭を造るため、幕府の庭師九段仁右衛門・藤井友之進の二人を招きました。その折、両氏は岡野町に数ヶ月滞在し村山家の作庭にあたりこの名園の基礎を成しました。また、園内にはスギゴケやジャゴケなどの苔が百数種類を数え、苔で有名な京都の西芳寺などに次いで稀にみる苔の庭です。この立派な苔が育った要因として、霜害の無い立地条件がその第一として挙げられております。


旧斎藤邸別邸(画像をクリックすると詳細ページに移動します)
旧齋藤家別邸は、豪商齋藤家の四代齋藤喜十郎(庫吉1864〜1941)が、大正7年(1918)に別荘として造ったものです。 砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、近代和風建築の秀作といわれる開放的な建物は、大正時代における港町・商都新潟の繁栄ぶりを物語る文化遺産です。戦後この邸宅は進駐軍による接収を経て、昭和28年(1953)には加賀田家に所有が移りました。時代が移り平成17年(2005)、所有権の移転や解体の可能性などの話題が聞こえてくるようになり、保存を願う運動が市民有志によって起こされました。 署名・募金運動、市議会への請願などが実を結び、平成21年(2009)、新潟市はこれを公有化しました。